想/奏

想/奏 · 11日 12月 2017
その時、その場所、その人との繋がりの中でしか成し得ないものがある。 伝えたいものがあり、伝えたい人がいて、その中で一緒に作り、生み出される作品がある。 僕にとってはクラスというものは表現手段であり、方法であり、作品である。 それは瞬間かも知れない。 持続的、継続的なものかも知れない。...
想/奏 · 05日 12月 2017
僕らは日常を非日常に変える力を持っている。 どんな場所であっても、誰に対してでも。 僕らの心がそうさせる。 僕らが発する声、動作が空気を振動させ、観る者、聴く者、共に在る者を包み込む。 魔法のような空間をその場に出現させる。 そこには大袈裟な装置もパフォーマンスも必要ない。 僕らの想像力がそれを可能にするのだ。...

想/奏 · 05日 12月 2017
どんなに小さな音だとしてもそのスピードを考えるならばそのエネルギーは途方もないものだろう。 鼓膜を振動させるということはそれよりも表面にある皮膚も感じている。 振動。 音。 身体。 それは声。 それは楽器。 それは身体。 それはダンス。 音が鳴る。 音は既にダンスしている。 それを拒むのは身体、心、環境、社会。...
想/奏 · 05日 12月 2017
声、そこから発せられる言葉には距離があり、方向がある。 そして速度があり、重さがある。 言葉数が増えれば増えるほど、それを届ける相手との距離が縮まる場合もあれば、離れてしまう場合もある。 その言葉の速さ、重さによっては言葉が少なくても十分なパワーを有する。...

想/奏 · 04日 12月 2017
バレエ教師という仕事がどのような仕事であるか。 それは教師一人一人によって違うだろう。...
想/奏 · 03日 12月 2017
テンポとリズム。 その上に広がるメロディ。 メロディという楽器。 それはリズムの上にあるもの。 だからこそ、鳴っているメロディを身体が奏でる必要はない。 新しいメロディ、またはハーモニー、そして新しいリズムを刻み込む。 ダンス。 既に鳴っている音をなぞることがダンスではない。 新しい音を紡ぐこと。 それもまたダンスである。

想/奏 · 03日 12月 2017
身体そのものが楽器であること。 ダンスとは身体という楽器を使って音を鳴らすことでもあり、演奏することでもある。 演奏者と音そのものが一体となっている身体。 音が鳴っていないからこそ、どんな音でも奏でることが出来るという強さ。 または空間というキャンバスに対して自由自在に絵を描くことの出来る画家でもある。 変化する立体としての身体。...
想/奏 · 03日 12月 2017
今日は「バレエ教師の為のバレエ勉強会Vol.1」をありがとうございました。 Vol.1に相応しくのんびり意見交換していきました。 生徒の数だけ悩みがあるように教師の数だけまた悩みもあります。...

想/奏 · 02日 11月 2017
個性というのはファッションや音楽、ダンス等、目に見える、耳に聴こえるといったような何か表に現れた時に感じたり受けたりするもののように思うけれど、実際はその前にある物事の感じ方、捉え方の方にこそ個性の原点がある。 個性的であるということは自分がどう感じているか、どう感じたかに掛かっている。 でもそれはみんなに備わっているもの。...
想/奏 · 29日 10月 2017
ロールインは立っている時だけの問題では無い。 ロールインすることが原因で起こる様々な障害や弊害。 でもみんなそれを強要する。 正しいターンアウトを、そして正しいポイントを教えてあげて欲しい。 正直なところその人の身体の責任を教師が負うことはないのだから。 バレエの側弯に関しても同様のことが言える。...

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