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バレエ教師という仕事

バレエ教師という仕事がどのような仕事であるか。

それは教師一人一人によって違うだろう。

 

クラシックバレエという古典芸能を守り伝える人、新しい時代へそのシステムを変化させ現代においてのバレエを追求をする人、バレエの素晴らしさに気付きそのフィーリングを伝えようとする人、美しさに惚れその美しさを追求する人、芸術を愛する人、ダンスが好きな人、、、。

 

 

バレエとの出逢い方によってもそれまでの人生の歩み方によっても違うだろう。

生徒の数だけバレエがあるように、教師の数だけまたバレエもあるだろう。

 

教師の仕事、それは伝えるということ。

バレエかも知れないし、その人の想いかも知れない。

生徒にとって一番身近な表現者でもあり、体現者でもある。

 

だからこそ教師が何を伝えたいかについてはっきりとした答えをもっているかどうかが重要になる。

教師自身が表現豊かでなければならないし、それを体現する為の努力をし続けなければならない。

なぜならそれこそが仕事であるからだ。

 

何かが伝わらなかったことを生徒のせいにするのは自身の力の不足を表明することと変わらない。

自分の伝えたいことは他の誰でもなく教師の中にしか存在しないのだから。

それをどのような言葉に変換し、身体で見せ、さらに相手の中に宿していくか。

相手に伝えたいことを全て言葉で説明出来る技術もあった方が良いし、言葉という一見便利に見えて難解な表現方法に頼らず、別の手段で伝える方法を編み出すことも必要だろう。

 

その日のレッスン、そしてその日出すパの一つ一つに明快な答えを持つこと。

「何となくそうやって今日まで習ってきたからそのように教えている」では教師と呼べるだろうか。

 

トレーナーであればクライアントに提供するトレーニングの一つ一つに意味があることを知っている。

医者であれば患者に処方する薬の役割や意味、動機についてはっきりとした答えを持っているだろう。

何となくの物を作り時間とお金を使わせ食べさせるお店にはいきたくはないだろう。  

 

教師自身がそのアンシェヌマンの先に何を見ているか。

どこに導いていきたいのか。

何を掴んでもらいたいのか。

最も根本的な「動く動機」について教師はまず初めに考えなければならない。

例えそこにメソッドが存在したとしても結局は教師の考え、想いに生徒を付き合わせているだけなのだから。

 

 

教師自身の心がモヤモヤしているとしたら、それは教師自身がハッキリとした答えをもっていないからに他ならない。

明快な答えを持つ。

それが勉強し続ける意味でもあるし、それは教師自身で掴むしかないのだ。

 

クラシックバレエを通して何を伝えようとしているのか。

引き続き勉強会で自分自身を含めそれぞれに投げかけ考えていきたいと思っています。